アイドルと恋愛について

夏焼の一件以来、ずっと自分の心の隅に引っかかっていたことがある。それはつまり、アイドルと恋愛の在り方はどうあるべきかという問題である。そもそもそんなことを論ずるのはとんでもなく野暮なのではないかという気もするのであるが、何となく心の中を整理してみたいという気持ちからこの文章を書いてみた。(注:この文章は有原の件が発覚する前に書き始めました。)

アイドルは必ず恋愛する

まず、自分なりにひとつの大前提を立てておきたいと思う。それは、「前提1:アイドルはいつか必ず恋愛する」というものだ。これはアイドルも人間である以上いつか必ず恋愛する日がやって来るということを単純に表している。アイドルが恋愛をすることは避けられないことなのだ。我々はある意味初めから悲劇を運命付けられているとも言える。
問題は「いつまで恋愛しないでいられるか?」 そして「ヲタはアイドルの恋愛とどう向き合うべきか」ということだ。

アイドル=みんなのもの

ひとつめの問題に対しては「アイドルでいる間は恋愛してはいけない」という考え方がある。そもそもアイドルというものは「みんなのもの」でなければならない。こう言うと語弊があるかもしれないが、決して「誰かひとり(彼氏)のもの」となってしまっては困るのである。
「みんなのもの」であるということは言葉を変えると一人一人のヲタ個人の視点で見れば「自分のもの」として自由に妄想なり空想なりをして楽しめるということである。いわゆる「疑似恋愛」(←定義が良く分からないが)として本気でアイドルに恋してアイドルと付き合いたいと願うのも、もっと軽く、「もしアイドルとデートするならどこへ行くか?」と空想を楽しんだり、「この子が自分の娘だったら?」などと妄想を膨らませたり、はたまたアイドル達を登場人物にして小説を書いたりするのも自由なのだ。
ところが、「誰かひとりのもの」となってしまうと、この自由な妄想が阻害されてしまう。確かに「庄司からミキティを奪いとるオレ」みたいなドロドロ妄想も不可能ではないけれど、多くの人はそこまでアイアンハートな空想マニアではないはずだ。やはりそこに「具体的な誰か」が見え隠れすると自由なイマジネーションが広がりにくいのである。
もちろん、そういった空想だけがアイドルの楽しみ方では無いことは言うまでもない。単純にカワイイから好き(純粋にルックスのみを楽しむ)とか、キャラクターが好きとか、純粋に歌やダンス(パフォーマンス)を楽しむといった楽しみ方もある。ただ、アイドルの本質というのは基本的に「その存在すべてをあらゆる角度から楽しめること」にあると思うのだ。
しかるに、もし「誰かひとりのもの」となってヲタの自由な空想という楽しみが阻害されることとなれば、それはすでにアイドルとして重要な何かを欠いている「不完全なアイドル」であると断じざるを得ない。
こういった理由から、私は「アイドルである間は恋愛してはいけない」という建前を支持するのである。
(ここで注意して欲しいのはアイドルとして不完全だからといって、それは必ずしもタレント本人の芸能人としての価値を下げるとは限らないという事である。例えば藤本美貴の現状はアイドルとしては不完全であるけれど、それは藤本美貴が必ずしもタレントとして不完全だとか価値が低いとかいう事を意味するとは限らない。また、「不完全なアイドル」をそのまま受け入れて愛するという選択肢も当然ありうる。)

恋愛を止めることは可能か

さてここで、最初に立てた前提に戻ろう。「前提1:アイドルはいつか必ず恋愛する」
アイドル本人達も恋愛がバレればアイドルとしての価値が下がるということは理解しているはずである。だがしかし、果たしてアイドルが恋愛を自制することは可能なのだろうか? 多分ある程度は可能で、ある程度は不可能なのではないかと推測する。中には自制などという生ぬるい方法では無く、鉄の掟で禁止しろという意見をお持ちの方も居ることだろう。だがハロプロに限らず、昔のアイドル達だって厳しい制限の中で何とか恋愛しようとしていたという話はよく聞く。
それにアイドルを愛する自分としては、彼女たちにアイドルとしての青春だけでなく、プライベートな面でも素敵な青春の思い出を作って欲しいと願っているのだ。そこには、「年相応の」恋愛ぐらいは経験させてあげたいという親心もあるのである。
結局、自分としては「前提2:アイドルの恋愛を止める方法はあまり無い」し、実際ヲタにはそれを止める権利も無い(与えられて無い)という現実を直視すべきではないかという気がしている。ヲタに与えられているのはただ「アイドルが恋愛するまで」の「僅かな時間」だけなのである。

ヲタはアイドルの恋愛とどう向き合うべきか

では「アイドルはいつか必ず恋愛する」ということと「それを止める方法はあまり無い」という前提に立った上で、ヲタはそれに対してどう向き合うべきなのだろうか?
自分としては、消極的ではあるが「アイドルが恋愛するまで(言い換えれば恋愛しているとバレるまで)の時間」をいかにして延ばすかということしか手段が無い様に思われる。すなわち「必要以上にアイドルのプライベートを詮索しない」ということである。
なんとも凡庸な結論であるが、現実的にヲタが採り得る方策としてはこの程度のラインしか無いのではないかと思うのである。

アイドルは恋愛をしないという「建前」

必要以上にアイドルのプライベートを詮索しないことによって、ヲタは「アイドルは恋愛をしない」という建前をある程度守ることができる。
この「建前」を守ること。それがヲタの側とアイドル側双方にとって利益になることは明白だと思う。
ヲタは必要以上にアイドルのプライベートを詮索しない、対してアイドルの側は恋愛している素振りをなるべく見せないということである。それはアイドルが完全でいられる時間を延ばすことに繋がり、アイドルを楽しめる時間を延ばすことになるからだ。
ただ、私が提唱したいのはあくまで「建前として」守るということであって、上述した様に現実のプライベートにおいてアイドルが全く恋愛しないということを求めている訳では無い。(この建前はアイドルの世界における暗黙のルールとして昔から存在していたし、一応今も機能し続けていると思う。)

キャバクラという空間

ここで、ちょっと卑近な例えで申し訳ないのだがキャバクラという空間を例にとってみよう。
キャバクラの店内でオネーチャン達に「○○ちゃんは彼氏居るの?」と聞けば必ず「居ませんよ〜」という答えが返ってくる。これは客に気を持たせ、次回の来店や指名につなげることが売り上げ増につながるからだ。しかもキャバクラという空間の中で客に付いている間、彼女はその客のものでなければならない。だからキャバクラ嬢には彼氏は居ないことになっているし、実際彼女たちもそう答えるのである。そこでは現実に彼氏が居るかどうかは深く追求されないし、してはいけない。それがキャバクラの暗黙のルールであり正しい楽しみ方なのだ。
しかし、時々必要以上にしつこく彼氏の有無を聞いたり、本当は彼氏が居ること知って怒ったりする客が居る。こういう客は正にKYであり、正しいキャバクラの楽しみ方を知らないと言わねばならない。

「建前」を守る

アイドルをキャバクラ嬢と同列に語るのは心苦しいのであるが、このキャバクラというシステムはアイドル世界と同様の構造を持っていると言わねばならないだろう。
アイドルに彼氏が居ないのは「建前」であり、実際に彼氏が居ても居なくても「彼氏は居ません」と答える。そして客は必要以上にそれについて詮索したりしない。
それが守るべき「建前」であり、暗黙のルールであると思うのである。
それをあえて破り、知らなくても良い事実を知ろうとしたり、暴いたりする行為は本当に野暮であり、アイドルとそのヲタを危機に陥れる「アイドルの敵」であると思うのだ。
(ヲタならば誰しもアイドルについて本当のことを知りたいし、プライベートなことも知りたいという欲望は持っているだろう。だがしかし、自らの無思慮な欲望の追求が、必ずしも良い結果ばかりをもたらすとは限らないということに思い致すべきである。アイドルとはしょせん偶像であり作られたものなのだ。すなわち、アイドルは「アイドル空間」という特殊な状況においてのみ最大限の輝きを発するのであって、アイドルとヲタの間には輝きを発するのに必要な適度な距離というものがあるということである。近付き過ぎれば偶像としての輝きは失われ、必然的に「タダのひと」としての側面が立ち現われてくるであろうことは知っておくべきなのだ。)
少し脱線したが、自分としては「アイドルは恋愛しないという建前」をアイドル側とヲタの双方が「建前として守る」ことが両者にとって重要であり、アイドルをより長く楽しむという双方の利益につながる、という至極平凡な事実を確認して一応の結論としたいと思う。(ただし、ここで「アイドル側」とは単にアイドル本人だけを指すのではなく、所属事務所などをも含む言葉であることに注意されたい。)

実際に恋愛がバレたらどうするか?

「アイドルは恋愛しないという建前」をアイドル側とヲタの双方が最大限の注意を払って守り、それが一応成功したと仮定しよう。もし、アイドルが引退するまでその建前が守られれば、それは完全な成功となる。だが実際のところ、最大限の注意を払っていても、ある程度の確率で恋愛がバレることは避けられないのが悲しい現実であろう。
そうやって不幸にも「建前」が崩壊した場合、ヲタはその現実にどう対応するべきであろうか?
結論から言ってしまうと基本的に「こうしなければならない」というルールは存在せず、ヲタのとるべき態度は自由である。だがしかし、ある程度ヲタの取り得る行動を類型化することはできるであろう。
1:推しをやめる
「a.アイドルヲタそのものをやめてしまう人」も居れば、「b.次の推しに乗り換える人」も居るだろう。これを普通の男女関係に例えてみれば、aは彼女に振られて「もう2度と恋なんてしない」と恋愛から手を引いてしまう人。bは「素直にあきらめて次の彼女を探す人」である。(もうひとつcとして逆恨みから問題行動を起こす人というのもあるかもしれない。)
2:推しを続ける
これにも種類があって「a.疑似恋愛的な感情を抱き続ける」タイプと「b.家族愛的な感情に移行する」タイプに大別できると思う。(もちろん当初からbの家族愛的な感情のみを持って応援しているヲタも居る訳だが)これも一般の男女関係に例えれば、aは彼女に振られた後もあきらめ切れずにヨリを戻すチャンスをうかがって付きまとうタイプ。bは彼女と別れた後は友達として仲良く付き合っていくタイプである。
どれが良いとかを論じるつもりは無い。アイドル本人に迷惑が及ばない限りどのような態度を取るかは自由である。
ちなみに、もし自分の推しメンに恋愛が発覚したらどの様な態度を取るかといったことを考えてみると…
(1)松浦亜弥
彼女の場合既に1度恋愛がバレているのでその時のことを振り返ってみると、自分は推しを続けたので2−bに近いと思う。そもそも自分は松浦亜弥という人間に疑似恋愛的な感情を抱いたことはほとんど無かった様に思う。無論、全盛期のあややを見て「カワイイなぁ」と思うことはあった(握手会であまりの可愛さにクラクラしたこともあったw)けれど、それは単にルックスを楽しむという種類のものであって、本気で恋するとかいうのでは無かった。自分がハロヲタになるきっかけは松浦亜弥からだったのだが、それは彼女の曲(=つんく♂の曲でもある)の力や歌唱力、ライブでのヲタとの一体感などの総合的なパフォーマンスに魅かれたからだと思う。
その後、あるライブで彼女の歌声が天使の声のように聴こえた頃から、自分は彼女を「歌手」として捉える面が強まって、今はその歌声と類い稀な(22才とは思えないw)キャラクターに魅かれてヲタをやっている。
仮に今、再び彼女に恋愛が発覚したとしても(実際最近一部でそのような報道もあった様だが)自分の推す態度は変わらないだろうし、恋愛を温かく見守るだろう。歌い続けてさえくれるなら、むしろ結婚だってOKである。
今の松浦亜弥は1度恋愛がバレている為、アイドルとしては不完全であると言えよう。でも、自分は不完全な松浦亜弥を愛している。ただ、それは既に、「アイドル」として愛するというよりも「アーティスト」として愛するに近いような気もしている。
(2)道重さゆみ
正直言って自分の彼女に対する熱は一時期よりだいぶ下がってしまった気がするが、こちらもやはりもともと疑似恋愛的な要素は少なくて、主としてその利発でかつとんでもなく面白いキャラ、プラス可愛さに魅かれてヲタになった。今の自分は熱が冷め気味なのも相まって、さゆに対する感情は家族愛的なものになっていると思う。彼女ももう19才だし、あまりそうなって欲しくはないが、恋愛の1つや2つしてもいい時期かなとは思う。
そんな彼女に今、恋愛が発覚したとしても、それが直接的に推しをやめるきっかけにはならないと思うし、家族愛的な感情は持ち続けるであろう。よってこれも2−bである。
(3)清水佐紀
厳密にはちょっと違うのだが、強いて言えば佐紀ちゃんに対する感情が最も恋に近いのかな?という気はしている。佐紀ちゃんは主としてルックスが好きでヲタになった。恋愛で言えば性格は見ていない「ひとめぼれ」みたいなもの。別に本気で付き合いたいとかは全く思わないけれど、もし彼女に恋愛が発覚したら自分の気持ちは結構萎えるだろう。彼女のうわべだけしか見ていないからそうなるとも言える。ヲタをやめるかどうかは微妙だし、うすーい家族愛みたいな2−bに近い感情を持つ可能性はあるが、どちらかと言えば1−b型でヲタをやめる、もしくは興味が無くなる可能性が高い様に思う。
(4)岡井千聖
岡井ちゃんに彼氏???とか、はっきり言って全く想像が付かないのであるが、もし元気いっぱいに「じつは〜、好きな人ができました!」みたいに報告されたら、「いいぞ〜岡井ちゃんガンバレ!」とついつい応援してしまいそうな気がする。岡井ちゃんを「女の子」としてというよりも、性別を超えた「子ども」として愛でているような気がする自分としては、彼氏が居ても居なくても、岡井ちゃんの笑顔さえ見られればOK。何があっても応援してあげたくなっちゃうだろう。ということでこれも2−b型か。
(自分1人の例を取ってみても、岡井ちゃんの恋愛は許せるが佐紀ちゃんの恋愛は許せない、的なダブルスタンダードが存在するのだから、やはり恋愛に対する全ヲタが納得する統一的な基準みたいなものを設けることは困難であると言わざるを得ないであろう。)

「建前」を守る意義

さて、疑似恋愛的な感情をあまり持たない推し方をしている自分としては、恋愛が発覚しても基本2−b型で推しを続けることが多い、という予想結果が出た訳だが、それなら別に「アイドルは恋愛しない」という「建前」にあまりこだわる必要は無いのではないか?いっそのことそんな建前は無くしてしまってもいいのではないか?という考えが頭をよぎる。実際、自分個人としては堂々と恋愛しながら活動するアイドルが居ても良いのではないか?という気はしているし、もし自分の推しメンがそういう道を選んだ時はそれを応援してあげたいという気持ちも存在する。
だがしかし、やはりそれはアイドルとしてはイレギュラーな存在であるし、不完全であるという思いが残る。しかも、多くのファンを獲得するという観点から見れば、やはり「アイドルは恋愛しない」という建前を守ることが重要な意味を持つことは明白なのだ。

藤本美貴の例

ここで、少し過去を振り返って藤本美貴の例を考えてみたい。昨年藤本の恋愛が発覚した際、推しメンでは無い彼女の恋愛は自分にとって基本的に無害なものであった。従って、彼女が娘。を辞める必要性は一義的には感じられなかった。正に、堂々と恋愛しながら活動するアイドルが居てもいいじゃないか、という気持ちだったのだ。
しかし、仮に彼女が娘。に残留していた場合、1つのグループ内に建前を守る者と守らない者が併存するという奇妙な状況が生まれる。果たしてその状況を許容できるのか?という問題がそこで発生するのだ。自分個人としては、それは許容できる範囲のものであったと思えるのであるが、やはりグループ全体で見た時に、そのグループが恋愛をしないという建前を守っているか?という部分においては若干苦しい弁明をせざるを得ないと思う。即ち、娘。がアイドルグループとして不完全な存在になりかねないという点はやはり、看過し得ない問題なのだ。
自分としてはしかし、その不完全さは1/10の不完全さであって、許容しうる範囲内であるという感覚のもとに藤本の残留を願ったのであるが、それをグループ全体の危機と捉え、脱退させることでグループとしての完全さを守った事務所の判断もまた一方で理解できなくもないのである。
そして単にアイドル個人の問題にとどまらない問題がここにある。言うなれば、グループで活動するアイドルゆえの脆弱性である。

グループの中のアイドル

ソロで活動するアイドルの場合は単純に個人の意思で(道は険しくとも)恋愛しながら活動するアイドルという道を選ぶこともできよう。だが、グループで活動するアイドルの場合には前述の通りグループからの脱退を余儀なくされる可能性が出てくるのである。矢口や藤本の様に、曲がりなりにもソロでやっていく能力のある人間ならそれでも何とか「不完全なアイドル」として(今の矢口を「アイドル」と呼べるのかという問題はさておき)生き延びることもできよう。しかし、そこまでの能力が無い場合、グループからの脱退はそのままアイドル生命(=芸能人生命)終了の危機につながるのだ。(ちなみに、それは突然の学業専念とか卒業報告といった形でやってくるだろう。)
そのことを考えた場合、おいそれと「不完全なアイドル」の道を選ぶことはできない者も居る訳で、事務所が「完全(クリーン)なアイドルグループ」の形を求める場合には、一部のヲタが「不完全な(恋愛をした)○○ちゃんでも受け入れます」と願っても、その願いは叶わないこととなる。

事務所の問題

そもそも、この事務所(アップフロント)の恋愛に対する考え方がいま一つ明確でないことが問題をより複雑にしていることは否めない。
はっきり恋愛禁止とは明言しない一方で、恋愛が明らかになった一部の者へは懲罰的な処置をとる。これを好意的に解釈すれば、アイドルは恋愛しないという建前を明文ではなく「暗黙のルール」として運用していると捉えることもできる。しかし実際には、恋愛が明るみになった時にケースバイケースで事務所にとって都合のいい処置が取れるようなフリーハンドを残したいがために、ルールの明文化を避けている様に思えるのだ。
ゲームのルールが明確でないことからくる不安や混乱はヲタにとってもアイドルにとっても無益である。
ただ、自分はアイドルは恋愛しないという建前を「建前」として守るべきという考えなので、ルールの完全なる明文化は不要という立場である。明文化してしまうとそれはもはや「建前」ではなくて金科玉条となり、建前を守れなかった者を処罰せねばならなくなるからだ。
「建前」はあくまで不文律として存在すべきである。ただしその「建前」を不文律として最大限守るべきだという事に関しては、明確に事務所が指導すべきであると思う。

事後の処置はどうあるべきか

そして建前を守れなかった者をどう処遇するかについて言えば、私は基本的には事務所からの処罰は無しで良いと思うのである。なぜならば、恋愛が明らかになったアイドルはヲタの減少という罰を必然的に受けるからである。その一方でアイドル本人と「不完全なアイドル」でも受け入れるヲタの為には芸能活動が継続されることが利益になるだろう。そして、同じグループ内に完全なアイドルと不完全なアイドルが居ることの不安定さに関しては、これを甘受すべきであるというのが自分の考えである。

最後に

さて、ここまで書いてきて有原栞菜の件である。私としてはアイドルは恋愛しないという「建前」があまりにやすやすと破られるのを見て悲しく思う訳だが、さりとて栞菜に処罰を要求する気も無い。前述の通り栞菜にはヲタの減少という明確な罰が待ち受けているからだ。そして、事務所に対しては「学業専念」などの過度の処罰を取らない様に切に願う。
もうひとつ事務所に要望したいことは、アイドルは恋愛しないという「建前」が建前として「守られる」様にある程度の指導をして頂きたいということだ。少なくとも、一部の例外はあっても「それなりに守られている」という意識が成立しないと「建前」は成り立たない。そして、この「建前」が守られるかどうかは現状アイドル側(=事務所も含む)により大きな比重がかかっており、その対応が問われていると考えるからだ。
一方で、やはりもう、いっそのことそんな建前は完全に廃止した方がすっきりするのかな?とも思う。新しいアイドルの形として恋愛公認のアイドル集団というのもアリかもしれない。そのルールは彼氏ができたら速やかにファンに報告すること。裏表が無い分、ヲタは変に気を揉む必要が無い。彼氏アリと判明した時点でそれを許容できないヲタは他へ移ればいいし、最初からそうなることを織り込み済みならヲタ側の心理的ダメージも少ない。
とはいえ、そんな思い切ったことをする事務所とも思えない。やはり「恋愛をしないという建前を守るべき」という提言が現実的かつ実現可能なラインだと思うのだ。最後に再度そのことを確認しつつ、今回の考察を終えたいと思う。
(思いのほか長文で、かつまとまりの無い文章となってしまったことをおわびします。ご拝読ありがとうございました。)